キャンドルの灯りの中で
6/21 クリキンディ(田川郡 赤村)にて、ローソクの灯りの中の時間を感じつつ。
隣のお席をご一緒させていただいた方達とのお話とともに
クリキンディのスタッフがご用意してくださったお料理や、
参加された方々がそれぞれ持ち寄られたものを楽しみながら。
時折、モンゴルの弦楽器かと思われるような音が聞こえてきたり。
そして、詩の朗読を。ローソクの灯りの中で、詩を朗読する機会は初めての中、
一緒のテーブルだった小学校の子供達と文字をたどりつつ。
もうすぐキャンドルナイト。
関係項
先週末、阿部守さんの鉄の作品をみる。
阿部さんの作品についていろいろな人達が言葉で伝えておられると思うので、私がここで文章にすることは、私が今面しているものについて、少し言葉にしてみたいと思う。
いつぐらいからかわからないが、私の中で、光と影の形というのはとても気になるというか、印象的というか、無意識の意識のような感じで溶け込んできていて。聴覚と視覚に訴えられるような。でも、それは、五感、六感といわれるものたちに通じていくのかもしれない。
PS
直方谷尾美術館の学芸員の方達とお話していたら、お茶会の話に。
6/22 11時から1時間、作品とともにお茶会をされるそうです。
ikikauhitonokage:行きかう人の影
高松次郎の影達が私の脳みその中で、行き交っている。
交差点で行き交う人の影は、一見関連ないもの。
だけれど、一つのコマのようなキャンバスの上で影が行き交う時、
そこに関連性、関係性が生まれる。
なんだか、そんな言葉がぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる回り続ける。
そして、鬼のいる庭。
日曜日の朝、鬼のいる庭へゆく。
すると、小林重予さんがおられました。
なぜ、鬼のいる庭なのだろう。
なんとなく思っていたので、ご本人に訪ねてみることにしました。
鬼のいる庭。それは、今回、節分から節分という時間の中で、詩人 岡田哲也と小林重予との作品と言葉のやりとりからきたそうです。お話しながら思ったのは、小林さんの作品の根底に、植物と人間の関係についてというところがあるようです。その中で鬼という架空かもしれませんが、その生き物の存在が具体的な形として現れてきたものなのかなという気がしました。
鬼は本来怖いものなのかもしれないけど、今、鬼が少なくなっている。鬼って意外と悪いだけでなく、実はきれいだったりすると。 それは、小林さんからのメッセージ。
角をイメージしてつくられた、作品の断片には、透明感のある石材が使われていて、とても気になっていた。また、神様は二枚舌かもというイメージの作品。
私は、鬼をみることができたのだろうか。