関係項
先週末、阿部守さんの鉄の作品をみる。
阿部さんの作品についていろいろな人達が言葉で伝えておられると思うので、私がここで文章にすることは、私が今面しているものについて、少し言葉にしてみたいと思う。
いつぐらいからかわからないが、私の中で、光と影の形というのはとても気になるというか、印象的というか、無意識の意識のような感じで溶け込んできていて。聴覚と視覚に訴えられるような。でも、それは、五感、六感といわれるものたちに通じていくのかもしれない。
PS
直方谷尾美術館の学芸員の方達とお話していたら、お茶会の話に。
6/22 11時から1時間、作品とともにお茶会をされるそうです。
ikikauhitonokage:行きかう人の影
高松次郎の影達が私の脳みその中で、行き交っている。
交差点で行き交う人の影は、一見関連ないもの。
だけれど、一つのコマのようなキャンバスの上で影が行き交う時、
そこに関連性、関係性が生まれる。
なんだか、そんな言葉がぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる回り続ける。
そして、鬼のいる庭。
日曜日の朝、鬼のいる庭へゆく。
すると、小林重予さんがおられました。
なぜ、鬼のいる庭なのだろう。
なんとなく思っていたので、ご本人に訪ねてみることにしました。
鬼のいる庭。それは、今回、節分から節分という時間の中で、詩人 岡田哲也と小林重予との作品と言葉のやりとりからきたそうです。お話しながら思ったのは、小林さんの作品の根底に、植物と人間の関係についてというところがあるようです。その中で鬼という架空かもしれませんが、その生き物の存在が具体的な形として現れてきたものなのかなという気がしました。
鬼は本来怖いものなのかもしれないけど、今、鬼が少なくなっている。鬼って意外と悪いだけでなく、実はきれいだったりすると。 それは、小林さんからのメッセージ。
角をイメージしてつくられた、作品の断片には、透明感のある石材が使われていて、とても気になっていた。また、神様は二枚舌かもというイメージの作品。
私は、鬼をみることができたのだろうか。
雨と。
今日は、貘での小林重予さんの作品展へ。
田川市美のA.E.さんに声をかけていただき、岡田さんとの詩のコラボレーション、
なんとか見る事ができました。
時間が少し過ぎていたので、大丈夫かなと不安もありつつ。
今回の作品を見せていただきながら、傍らで詩の朗読を聞きながら
とても緩やかな時間の流れを感じつつ。でも、タイトルは、鬼のいる庭。
なんだろう、あの柔らかな空間は。
白いふわふわしたものに、ガラスの突起。赤のガラスビーズのようなもの。石の断面のようなもの。詩のやりとりの葉書達。7円とか3円とかそんな切手があったり。80円も80円であるために、いろんな切手の集合が可能なのかも。
葉書に文字を書いて、切手を貼るという単純なことのなかからの表現。
まだまだ、鬼のいる庭へのみちはつづく。
parallel:それは、祭りからパーティへ
それは、realからvirtual, real karra virtual, realカラvirtual, リアルカラバーチャル、りあるからバーチャル、ソシテrealからvirtual∞
そして、蝶とコンセプト
先程、どこに置いたかなとクリスマスのイメージのデザインラフを探していた。
出てきたイメージと思いついたコンセプトを読み返してみた。
いくつかのパターンを書いていたようだが、イメージとして残っていたものは、白い蝶。
イメージとはそんなものなのかな。
今日は、白い蝶が
羽ばたいているイメージが広がって。
以前、コンペに出そうという話で、クリスマスがテーマだったのだけれど、
私は、アジアのクリスマスをイメージの基本にしようと考えてみた。
実際、アジアでのクリスマスといっても、日本のクリスマス(和のクリスマス)だけでも
ないのかと思って、ネットでアジアのクリスマスで検索。
日本は、よく宗教と文化の曖昧さみたいなものを批判されてきているが、
実際それは、悪いことばかりを意味するのだろうかという疑問もあった。
アジアのクリスマス。日本のクリスマス。和のクリスマス。
白い蝶の群れとガジュマルの木なのか、熱帯の場所にみられる、根のそびえたるような木。
モリハナエがどうやって蝶にたどりついたのか。
記憶にないのか、知らないか。
ラフは後で探してみよう。どこかに、えんぴつで書いたやつが。
詩の朗読会 in クリキンディ
赤村にある、スローカフェ・クリキンディにて、
ホームパーティのような雰囲気の中での詩の詩の朗読会。
昨年、デザインの勉強をとバンタンという学校に通いはじめ。
その時のクラスメートとのコラボ企画です。
今、私の中では、いろんな詩の朗読会をイメージしているのですが、
今回、実現しつつある詩の朗読会です。
http://cafe-potori.seesaa.net/